近年、1970〜80年代の日本の音楽が「シティポップ」として世界中から注目されています。
竹内まりやの「プラスティック・ラブ」や松原みきの「真夜中のドア〜Stay With Me〜」など、発売から数十年を経た楽曲が若い世代や海外のリスナーによって発見されるという現象が起きています。
そんなシティポップの歴史をさかのぼっていくと、必ずといっていいほど名前が登場する音楽家の一人が**大貫妙子(おおぬき・たえこ)**です。
山下達郎らと結成したシュガー・ベイブから音楽活動をスタートし、ソロ転向後は坂本龍一、細野晴臣、高橋幸宏、大村憲司など、日本の音楽史を代表するミュージシャンたちと数々の作品を制作してきました。
なかでも「都会」「4:00A.M.」「黒のクレール」「突然の贈りもの」などは、半世紀近くが経過した現在でも不思議なほど古さを感じさせません。
今回は、そんな大貫妙子とはどのような音楽家なのか、代表アルバムや名曲、坂本龍一との関係、そして現代になって再び注目されている理由まで詳しく紹介します。
大貫妙子とは?
大貫妙子は1953年東京生まれのシンガーソングライターです。
1973年、山下達郎らと**シュガー・ベイブ(SUGAR BABE)**を結成しました。
シュガー・ベイブは1975年にアルバム『SONGS』を発表しますが、翌1976年に解散。その年、大貫妙子はアルバム『Grey Skies』を発表し、ソロ活動を開始しました。公式プロフィールによれば、その後も長く活動を続け、オリジナルアルバムを27枚発表しています。
大貫妙子の大きな特徴は、何といっても透明感のある歌声と独特の美意識です。
強烈な感情を前面に押し出すのではなく、どこか一歩引いたような静かな歌唱。その歌声に、都会の夜や雨、季節、記憶、孤独といった風景が重なります。
そのため、いわゆるシティポップとして紹介されることも多い一方、大貫妙子の音楽は単純に「都会的なポップス」という言葉だけでは説明できません。
ジャズ、ソウル、ファンク、フレンチポップ、クラシック、電子音楽など、さまざまな音楽を取り込みながら独自の世界を作り上げてきた音楽家なのです。
原点は山下達郎と結成した「シュガー・ベイブ」
大貫妙子の音楽史を語るうえで欠かせないのがシュガー・ベイブです。
1973年に結成され、大貫妙子と山下達郎らが在籍していました。
1975年に発表されたアルバム『SONGS』は、後の日本のポップミュージックに大きな影響を与えた作品として評価されています。ソニーミュージックも大貫のプロフィールで『SONGS』を「都会的ポップス」の重要作として位置づけています。
現在の耳で聴けば自然に感じるかもしれませんが、1970年代前半の日本では、欧米のソウルやロック、ポップスの洗練された感覚と日本語の歌詞を自然に結びつけることは、まだ簡単ではありませんでした。
そうした時代にシュガー・ベイブが提示した音楽は、後に「シティポップ」と呼ばれるようになる音楽の一つの源流だったと考えることができます。
1976年の解散後、山下達郎はソロへ進み、大貫妙子も独自の道を歩み始めます。
それぞれ違った方向へ進みながら、後の日本のポップスを代表する存在となっていったところも興味深い点です。
ソロ初期の名盤『SUNSHOWER』
大貫妙子を知るうえで、まず聴いてほしいアルバムの一つが1977年7月25日に発売されたセカンドアルバム、
『SUNSHOWER(サンシャワー)』
です。
このアルバムには、
「Summer Connection」
「くすりをたくさん」
「都会」
「誰のために」
「Silent Screamer」
などが収録されています。
特に現在では「都会」が、大貫妙子の代表曲の一つとして広く知られています。
『SUNSHOWER』で重要なのが坂本龍一の存在です。
アルバムの音楽監督とアレンジを坂本龍一が担当し、楽曲によって細野晴臣、大村憲司、後藤次利らも参加しています。また「Summer Connection」には山下達郎がバックボーカルとして参加しています。
ジャズやソウル、ファンク、クロスオーバー的な音楽性と大貫妙子の繊細な歌声が組み合わさったサウンドは、1977年の作品とは思えないほどモダンです。
近年のシティポップブームによって『SUNSHOWER』は再び注目され、公式プロフィールでも同作がシティポップ再評価のなかで話題となったことが紹介されています。2010年代には過去のアルバムも多数アナログ盤として再発売されました。
発売当時とは異なる世代が、数十年後にこの作品を新しい音楽として発見しているわけです。
『MIGNONNE』と名曲「4:00A.M.」
1978年には3枚目のアルバム、
『MIGNONNE(ミニヨン)』
が発売されました。
ここに収録されているのが、現在非常に人気の高い「4:00A.M.」です。
「4:00A.M.」は大貫妙子が作詞・作曲し、坂本龍一が編曲とキーボードを担当。さらにベースには細野晴臣が参加しています。
タイトルの通り、午前4時という夜と朝の境界線を思わせるような独特の空気を持った曲です。
都会的で洗練されていながら、どこか寂しい。
この「華やかな都会」と「個人の孤独」が同居している感覚こそ、大貫妙子の音楽の大きな魅力ではないでしょうか。
『MIGNONNE』にはこのほかにも、
「横顔」
「黄昏れ」
「突然の贈りもの」
「海と少年」
などの名曲が収録されています。
「突然の贈りもの」も大貫妙子作詞・作曲、坂本龍一編曲で、細野晴臣がベースを担当しています。
現在から振り返ると、坂本龍一、細野晴臣、高橋幸宏など、その後YMOを中心として日本の音楽を大きく変えていくミュージシャンたちと大貫妙子が、非常に近い場所で音楽を作っていたことが分かります。
大貫妙子と坂本龍一
大貫妙子を語るうえで、坂本龍一との関係は特に重要です。
坂本龍一は単なるバックミュージシャンではなく、大貫妙子の音楽世界をサウンド面から形にした重要なパートナーの一人でした。
『SUNSHOWER』『MIGNONNE』など初期作品から参加し、1980年代に入ると二人の音楽的な関係はさらに深まります。
その代表的な成果が、1982年のアルバム、
『Cliché(クリシェ)』
です。
収録曲は、
「黒のクレール」
「色彩都市」
「ピーターラビットとわたし」
「LABYRINTH」
「風の道」
など。
「黒のクレール」は大貫妙子が作詞・作曲し、坂本龍一が編曲。坂本自身がキーボードとドラムを担当し、大村憲司がギター、細野晴臣がベースを担当しています。
「色彩都市」「ピーターラビットとわたし」も坂本龍一が編曲しています。
大貫妙子の繊細なメロディと、坂本龍一の緻密でモダンなアレンジ。
二人の組み合わせは、日本の1980年代ポップスの中でも特に美しい成果を残した組み合わせの一つといえるでしょう。
「ヨーロッパ3部作」で独自の世界へ
大貫妙子の音楽がさらに独自性を強めていくのが1980年代です。
1980年の
『ROMANTIQUE』
1981年の
『AVENTURE』
そして1982年の
『Cliché』
という3作品は、「ヨーロッパ3部作」と呼ばれています。ソニーミュージックも『ROMANTIQUE』を第1弾、『AVENTURE』を第2弾、『Cliché』を最終章として紹介しています。
それまでのアメリカ音楽志向とは違い、フレンチポップやヨーロッパ映画を思わせる美意識が強くなりました。
この3作品を聴くと、大貫妙子が単なる「シティポップの歌手」ではないことがよく分かります。
大貫妙子にとって重要なのはジャンルではなく、自分が美しいと思う世界を音楽として作ることなのではないでしょうか。
その姿勢が作品ごとに異なるサウンドを生み出し、結果として時代に縛られない音楽を作り上げています。
大貫妙子の代表曲7選
初めて大貫妙子を聴く人におすすめしたい代表曲を挙げてみましょう。
1.都会
『SUNSHOWER』収録。
タイトル通り、大貫妙子の都会的な音楽世界を象徴する一曲です。
華やかな都市生活を単純に肯定するのではなく、その裏側に存在する空虚さや孤独も感じさせます。
2.4:00A.M.
『MIGNONNE』収録。
夜が終わりかけた午前4時のような、独特の浮遊感を持った曲です。
大貫妙子の歌声と坂本龍一のアレンジの相性の良さを味わえる代表曲でしょう。
3.突然の贈りもの
同じく『MIGNONNE』収録。
派手な展開ではなく、静かに心へ染み込んでくるバラードです。
大貫妙子のメロディメーカーとしての魅力がよく分かります。
4.黒のクレール
『Cliché』収録。
大貫妙子の透明な歌声と坂本龍一の洗練されたアレンジが融合した名曲です。
細野晴臣、大村憲司も参加しています。
5.色彩都市
こちらも『Cliché』収録。
タイトルだけでも大貫妙子の音楽世界を象徴しているように感じられます。
都会を単なる建物や道路としてではなく、色彩や記憶、感情の集合体として描いているような美しさがあります。
6.ピーターラビットとわたし
大貫妙子作詞・作曲、坂本龍一編曲。
幻想的で可愛らしい雰囲気があり、大貫妙子の音楽のもう一つの顔を見せてくれる曲です。
7.メトロポリタン美術館
NHK『みんなのうた』で1984年に放送されたことで、多くの人に親しまれました。
美術館の世界を音楽として表現した幻想的な楽曲で、子どものころに聴いた記憶がある人も多いでしょう。
初心者におすすめしたいアルバム5枚
「曲ではなくアルバムで聴いてみたい」という人には、次の5作品がおすすめです。
『SUNSHOWER』(1977年)
まず聴いてほしい一枚です。
ジャズ、ファンク、ソウルなどの要素が詰まり、「都会」をはじめ大貫妙子初期の魅力が凝縮されています。
『MIGNONNE』(1978年)
「4:00A.M.」「突然の贈りもの」などを収録。
シティポップとしても非常に聴きやすく、現在のリスナーが大貫妙子に入門するのにも適した作品です。
『ROMANTIQUE』(1980年)
ヨーロッパ3部作の第1作。
ここから大貫妙子の音楽は、よりヨーロピアンで映像的な方向へ進んでいきます。
『AVENTURE』(1981年)
ヨーロッパ3部作の第2作。
『ROMANTIQUE』より明るくポップなサウンドを持つ作品として紹介されています。
『Cliché』(1982年)
ヨーロッパ3部作の完結編。
「黒のクレール」「色彩都市」「ピーターラビットとわたし」などが並び、大貫妙子と坂本龍一の共同作業を知るうえでも重要な作品です。
映画音楽でも高い評価
大貫妙子の活動はポップスだけにとどまりません。
CM、テレビ、映画音楽なども数多く手掛けています。
代表的なのが周防正行監督の映画**『Shall we ダンス?』**のメインテーマです。
また竹中直人監督の**『東京日和』**では音楽をプロデュースし、第21回日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞しています。
歌のない映画音楽を聴いても、大貫妙子らしい繊細さや風景を描く感覚を感じることができます。
大貫妙子は「歌を作る人」であると同時に、音によって風景を作り出す音楽家でもあるのです。
なぜ大貫妙子の音楽は古びないのか
大貫妙子の作品を現在聴いて驚かされるのは、1970〜80年代の音楽でありながら、あまり古びて聞こえないことです。
その理由の一つは、流行だけを追って音楽を作っていなかったことにあるでしょう。
もちろん当時の最新の楽器や録音技術は使われています。
しかし中心にあるのは、
都会の孤独。
人と人との距離。
記憶。
季節。
時間。
愛すること。
別れること。
といった普遍的な感情です。
そして大貫妙子は、それを過剰に説明しません。
歌詞にも音楽にも、ある種の「余白」があります。
その余白に聴き手自身の記憶や感情が入り込むからこそ、世代や国境を越えて聴かれるのではないでしょうか。
「都会的なのに静か」な音楽
シティポップというと、夏、海、車、高層ビル、ネオンといった華やかなイメージを思い浮かべる人も多いでしょう。
確かに大貫妙子の作品にも都会的な洗練があります。
しかし、そこにはいつも少し寂しさがあります。
人であふれた街の中にいるのに孤独。
美しい夜景を見ながら、なぜか昔のことを思い出す。
楽しかった時間ほど、過ぎ去ったあとに切なく感じる。
そんな感情を、大貫妙子は大げさに歌い上げることなく、静かに音楽の中へ置いていきます。
だからこそ夜に一人で聴いたとき、不思議なほど心に残るのでしょう。
まとめ|大貫妙子はシティポップを超えた音楽家
大貫妙子は、日本のシティポップの源流を考えるうえで欠かすことのできないシンガーソングライターです。
1973年に山下達郎らとシュガー・ベイブを結成し、1976年にソロデビュー。
『SUNSHOWER』『MIGNONNE』『ROMANTIQUE』『AVENTURE』『Cliché』など数多くの名盤を生み出し、坂本龍一、細野晴臣、高橋幸宏、大村憲司ら重要なミュージシャンとも作品を作ってきました。
しかし、大貫妙子を単に「シティポップの人」と考えてしまうと、その魅力の半分しか見えてこないように思います。
フレンチポップ、ジャズ、クラシック、電子音楽などを自由に取り入れながら、最終的にはどのジャンルにも属さない「大貫妙子の音楽」を完成させているからです。
初めて聴くなら、まずは、
「都会」
↓
「4:00A.M.」
↓
「突然の贈りもの」
↓
「黒のクレール」
↓
「色彩都市」
という順番で聴いてみるのもおすすめです。
夜、照明を少し落として聴けば、1970〜80年代に作られた音楽であることを忘れてしまうかもしれません。
大貫妙子の魅力とは、懐かしい音楽でありながら、同時に「今の音楽」として聴くことができること。
それこそが、彼女の作品が半世紀近くにわたって愛され続けている大きな理由なのではないでしょうか。





