映画『ザ・ホエール』(原題:The Whale)は、2022年に公開されたアメリカのドラマ映画で、主演のブレンダン・フレイザーが第95回アカデミー賞で主演男優賞を受賞したことで大きな話題を呼びました。監督は『ブラック・スワン』や『レスラー』で知られるダーレン・アロノフスキー、原作は劇作家サム・D・ハンターの同名舞台劇です。この作品は、体重272キロの孤独な男が人生の最期に娘との絆を取り戻そうとする5日間を描いた感動的かつ重厚なヒューマンドラマであり、観る者の心に深い余韻を残します。今回は、この映画の魅力や背景、そしてブレンダン・フレイザーの復活劇について詳しく掘り下げてみましょう。
『ザ・ホエール』のストーリーと設定
物語の主人公は、チャーリーという40代の男性。演じるのはもちろんブレンダン・フレイザーです。チャーリーは、恋人アランを亡くしたショックから現実逃避するように過食を繰り返し、重度の肥満症に陥っています。彼の体重は272キロに達し、歩行器なしでは移動もままならず、心不全の症状が悪化しているにもかかわらず病院へ行くことを頑なに拒否しています。オンラインで大学の作文講座の講師として生計を立てている彼ですが、カメラをオフにして顔を見せないまま授業を行っています。この設定自体が、彼の内面的な孤立と外界との断絶を象徴しているようです。
ある日、病状の悪化によって自分の死期が近いことを悟ったチャーリーは、8年前にアランと暮らすために家族を捨てて以来疎遠だった娘エリー(セイディー・シンク)に再び会おうと決意します。しかし、エリーは学校生活や家庭に多くの問題を抱え、心が荒みきった17歳の少女。チャーリーが彼女との関係を修復しようとする過程で、彼の過去の選択や後悔、そして娘への深い愛が徐々に明らかになっていきます。物語はほぼ全てがチャーリーの狭いアパートの一室で展開され、閉鎖的な空間が登場人物たちの感情のぶつかり合いを一層際立たせます。
共演者には、アランの妹で看護師のリズ役のホン・チャウ、チャーリーの元妻メアリー役のサマンサ・モートン、そして宗教的な宣教師トーマス役のタイ・シンプキンスが名を連ねており、それぞれがチャーリーの人生に異なる視点や影響をもたらします。特にホン・チャウの演技は、チャーリーを支える唯一の友人としての温かさと、彼女自身の葛藤を見事に表現しており、アカデミー賞助演女優賞にノミネートされるほどの評価を受けました。
ブレンダン・フレイザーの圧倒的な演技
『ザ・ホエール』の最大の見どころは、何と言ってもブレンダン・フレイザーの演技です。かつて『ハムナプトラ』シリーズでアクションスターとして一世を風靡した彼ですが、プライベートでの困難や健康問題により長らくハリウッドの表舞台から遠ざかっていました。しかし、この映画で彼は驚異的な変貌を遂げ、272キロの巨体を持つチャーリーを全身全霊で演じ切りました。特殊メイクと45キロのファットスーツを駆使し、4時間かけて準備したその姿は、かつての爽やかなイメージとは全く異なるもの。だが、それ以上に印象的なのは、彼の表情や声に宿る深い感情です。
チャーリーは、肉体的な制約だけでなく、精神的な脆さや罪悪感、後悔といった複雑な内面を抱えています。フレイザーは、優しい声色で学生に語りかけたり、娘エリーに対して必死に愛情を伝えようとしたりする場面で、観る者の心を掴んで離しません。特に物語のクライマックス、チャーリーがエリーに自分の思いを吐露するシーンは圧巻で、彼の声が震え、涙が溢れる瞬間は涙なしには見られません。この演技が評価され、第79回ベネチア国際映画祭では6分間のスタンディングオベーションが贈られ、最終的にアカデミー賞主演男優賞を受賞するに至りました。
フレイザー自身、インタビューで「この役は怖かった。自分の限界を超えて深く掘り下げ、全てをさらけ出した」と語っています。撮影前と後で「自分が変わった」と感じるほどの経験だったそうで、その言葉からも彼がこの役にどれだけの情熱と覚悟を注いだかが伝わってきます。
テーマ:赦しと救済の物語
『ザ・ホエール』は、単なる悲劇ではありません。確かにチャーリーの人生は過酷で、彼の選択が周囲に深い傷を残したことも事実です。しかし、この映画が描くのは「赦し」と「救済」の可能性です。チャーリーは、自分が犯した過ち――家族を捨てたこと、アランを救えなかったこと――に苦しみながらも、最期に娘との絆を取り戻そうとします。彼にとって、エリーに自分の愛を伝えることは、人生の意味を見出す最後のチャンスなのです。
一方で、エリーの視点からは、父親の突然の再登場に対する怒りや混乱が描かれます。彼女はチャーリーを許すことができず、冷たく突き放す場面もあります。しかし、物語が進むにつれて、彼女の心の奥底に隠された感情が少しずつ垣間見え、ラストには希望の光が差し込みます。この親子の関係を通じて、映画は「人は過ちを犯しても、それを認め、愛を持って向き合えば救われる」というメッセージを静かに伝えています。
また、チャーリーが教える作文や、劇中で繰り返し言及されるハーマン・メルヴィルの『モビー・ディック』(白鯨)が物語に深みを加えています。エリーが子供の頃に書いた作文が重要なモチーフとなり、チャーリーがそれを読み上げるシーンは、過去と現在をつなぐ感動的な瞬間です。『モビー・ディック』のテーマである執着や運命が、チャーリーの人生とも重なり合い、彼の内面を象徴的に映し出しています。
映画の背景と社会的影響
『ザ・ホエール』は、A24というインディーズ映画界で名を馳せるスタジオが製作し、日本では2023年4月に公開されました。公開当初は6館のみの限定上映だった北米で驚異的な興行成績を記録し、その後拡大公開されるほどのヒット作となりました。アカデミー賞では主演男優賞とメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞し、ホン・チャウも助演女優賞にノミネートされるなど、高い評価を受けたのも納得です。
この映画は、肥満や心の傷といったデリケートなテーマを扱っており、製作にあたっては肥満の人々を支援する団体(OAC)と協力しながら丁寧に進められたそうです。アロノフスキー監督は当初、実際に肥満体の俳優を起用することも考えたそうですが、長時間の撮影に耐えられない可能性を考慮し、特殊メイクを選択しました。その結果、リアルでありながらもチャーリーの人間性を際立たせる表現が生まれ、観客に深い共感を呼び起こしました。
ブレンダン・フレイザーの復活と今後
『ザ・ホエール』は、ブレンダン・フレイザーにとってキャリアの転機とも言える作品です。『ハムナプトラ』での成功後、彼は怪我や私生活の困難に苦しみ、一時は俳優業から遠ざかっていました。しかし、この映画での圧倒的な演技は、彼が単なるアクション俳優ではなく、深い感情を表現できる実力派俳優であることを世界に証明しました。授賞式での涙ながらのスピーチや、ファンへの感謝の言葉からは、彼自身の人生とチャーリーの物語が重なっているようにも感じられます。
今後、彼はHIKARI監督の『Rental Family(原題)』で再び主演を務めることが決まっており、2024年春から日本での撮影が予定されています。キャリアの頂点に立った彼の次なる挑戦にも注目が集まります。
まとめ
『ザ・ホエール』は、ブレンダン・フレイザーの魂のこもった演技と、ダーレン・アロノフスキーの繊細な演出が融合した傑作です。孤独や喪失感、後悔といった重いテーマを扱いつつも、最後には希望を見出せる物語は、観る者に深い感動と考察を与えます。日本でも多くの映画ファンが劇場に足を運び、彼の復活を祝福したことでしょう。もしまだ観ていないなら、ぜひVODでこの壮絶な人間ドラマを体感してみてください。チャーリーの旅路が、あなたの心にも何かを残すはずです。
『ザ・ホエール』は2025年2月末現在、Netflix、Hulu、U-NEXTで見放題鑑賞できます。3月7日からはAmazon Prime Videoでも配信が開始されます。




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