韓国映画界が世界に誇るSFアクション2部作、『The Witch/魔女』(2018年)と『THE WITCH/魔女 -増殖-』(2022年)。この2作は、単なるアクション映画の枠を超え、「人間とは何か」「記憶とアイデンティティはどう結びついているか」「科学と倫理の境界線はどこにあるのか」という深いテーマを問いかけています。
本記事では、両作のあらすじを丁寧に振り返りながら、作品が内包するテーマと考察を深掘りしていきます。まだ観ていない方への紹介記事としても、すでに観た方の理解を深める考察記事としても読んでいただけるよう構成しましたので、ぜひ最後までお付き合いください。
第1作:『The Witch/魔女』(2018年)
作品基本情報
| 原題 | 마녀 / The Witch: Part 1. The Subversion |
| 公開年 | 2018年(韓国) |
| 監督 | 朴薫(パク・フン) |
| 主演 | キム・ダミ、チョ・ミンス、チェ・ウシク |
| ジャンル | SFアクション・スリラー |
あらすじ
物語は、嵐の夜に血まみれで農家の前に倒れていた少女・ジャユンが発見される場面から始まります。記憶を失った状態で保護された彼女は、農夫夫婦に引き取られ、10年間ひとつの農村で静かに育てられます。
成長したジャユン(キム・ダミ)は、病気の養母の医療費を工面するため、テレビのオーディション番組「ティーンエイジャー・チャレンジ」に参加することを決意します。彼女の持ち前の頭脳と才能でオーディションは話題となりますが、その露出がきっかけとなり、かつて彼女が逃げ出した秘密の研究施設「マーテル」の関係者に居場所を突き止められてしまいます。
ジャユンはもともと、国家の秘密機関が関与する研究施設で「超能力を持つ子供」として育てられた存在でした。施設では子供たちに脳の強化処置が施され、超常能力を兵器として活用するプロジェクトが進行していたのです。ジャユンは施設から脱出した「失敗作」として追われる身でしたが、実は彼女こそが処置を完璧に受け継いだ「最高の成功体」だったのです。
施設の追手たちが次々と農村に現れ、養父母や幼馴染を脅かす状況に追い詰められたジャユンは、封印していた自分の力を解放。圧倒的な超能力で追手たちを撃退し、施設の黒幕との最後の対決へと向かいます。ラストでは彼女が自分の本当の姿を受け入れ、養母に別れを告げた後、単身で暗闇の中へと歩んでいく姿が印象的に描かれます。
テーマ分析
アイデンティティと記憶
第1作の中核にあるテーマは、「記憶のないところに自己はあるか」という問いです。ジャユンは記憶を失った状態で農家に引き取られ、「普通の少女」として10年間生きてきました。しかし、彼女の本当のアイデンティティは施設で作られた「超能力兵器」です。
物語は、彼女が「農村の少女・ジャユン」として生きてきた10年間が本物なのか、それとも施設が作り上げた「真の自分」こそが正体なのかという問いを、観客に静かに投げかけます。どちらが「本当の自分」なのか——この問いに対し、映画は明確な答えを出しません。むしろ、どちらも彼女の一部であると示唆するような演出が続きます。
倫理なき科学への警告
施設のプロジェクトは、国家や権力者の意図のもとに子供たちを被験体として扱う非倫理的な研究です。この構造は、冷戦時代のさまざまな人体実験や、現代における生命倫理の問題と重なって見えます。
「科学の進歩」は何のためにあるのか。それが一部の権力者の利益のために人間の尊厳を踏みにじるものであるとき、それを「科学」と呼べるのか。映画は娯楽アクションの形式を取りながら、この深刻な問いを静かに提示しています。
「魔女」というメタファー
タイトルにある「魔女(마녀)」という言葉は、単に超能力少女を指すだけではありません。歴史的に「魔女」とは、社会の異端者・迫害される存在の象徴です。
理解できないものを「魔女」と呼んで排除しようとした中世の魔女狩りになぞらえると、ジャユンは「普通の人間」と「権力の組織」双方から追われ、どこにも居場所を持てない存在として描かれます。超人的な力を持ちながら、その力ゆえに孤立を余儀なくされる——「魔女」のメタファーは、現代社会のマイノリティや異能者への視線を批評的に照らし出しているとも言えるでしょう。
第2作:『THE WITCH/魔女 -増殖-』(2022年)
作品基本情報
| 原題 | 마녀 2 / The Witch: Part 2. The Other One |
| 公開年 | 2022年(韓国) |
| 監督 | 朴薫(パク・フン) |
| 主演 | シン・シア、パク・ウンビン、ソン・ユビン |
| ジャンル | SFアクション・スリラー |
あらすじ
第2作では、前作の主人公・ジャユンは直接の登場こそ少ないものの、物語の背景として強く機能します。主人公は新たな「魔女」として登場する名もなき少女(シン・シア)。彼女は前作に登場した施設の別拠点から脱走した被験体のひとりです。
物語の冒頭、施設からの集団脱走が起き、一人の少女が血まみれで農村に逃げ込みます。彼女を保護したのは、兄・テイとその妹・ギョンヒの兄妹です。少女は記憶を持たず、言葉もほとんど話せない状態でした。ギョンヒは彼女に「カバン」と名付け、少しずつ心を通わせていきます。
しかし施設の組織と、それに対抗する別の勢力が少女を巡って激しく争いを始めます。組織にとって彼女は「回収すべき実験体」。一方、別の勢力は彼女を「研究に利用できる貴重な素体」として狙っています。少女は自分が何者であるかも知らないまま、二つの暴力の狭間に置かれていきます。
物語が進むにつれ、少女の圧倒的な戦闘能力が次々と明らかになります。そして終盤、かつての「魔女」ジャユンが姿を現し、少女と邂逅します。2人は互いを認め合いながらも、それぞれの道を歩む結末を迎えます。ラストシーンは、世界に散らばったさらなる「魔女たち」の存在を示唆して幕を閉じます。
テーマ分析
「増殖」というタイトルが示すもの
副題の「増殖(The Other One)」は、単に魔女が複数存在することを意味するわけではありません。英題の「The Other One(もう一人の)」は、鏡写しのような存在——ジャユンと新たな少女の関係性——を示唆しています。
しかし日本語の「増殖」という訳語は、さらに別の意味を含んでいます。施設の研究は、究極的には「超能力者を量産する」ことを目指していました。「増殖」とは、倫理を無視した生命の複製・量産への問いかけでもあります。クローン技術や遺伝子操作が現実に問題となる現代において、この副題は非常に示唆的です。
言語と自己表現
第2作で特に印象的なのは、主人公の少女がほとんど言葉を話さないという設定です。名前も持たず、過去もわからず、言葉もろくに使えない——それでも彼女は確かに「存在」し、感情を持ち、人と繋がろうとします。
言語を持たないことで逆説的に浮かび上がるのは、「言語がなくてもアイデンティティは存在する」というテーマです。自分が何者かを語れなくても、誰かと共にいる意志、守りたいという感情、その積み重ねこそが「自己」を作ると映画は言っているようです。
保護する者とされる者
第2作では、兄妹が少女を保護するという構図が前半に大きく機能します。特に妹のギョンヒは少女に名前を与え、食事を与え、温かく接します。
しかし物語が進むにつれ、「守る/守られる」の関係は逆転していきます。圧倒的な力を持つ少女が、か弱い人間たちを守る側になる。この反転は、「力のある者が弱い者を守る」という単純な図式を崩し、力の意味そのものを問い直すための装置として機能しています。
2作を通じて見えてくるもの
「魔女」たちの共通点と差異
第1作のジャユン、第2作の名もなき少女。2人の「魔女」は、どちらも施設で生み出されながら、人間の温かさに触れて育ちます。そして最終的には組織から逃れ、自らの道を歩もうとします。
しかし2人の歩みは対照的でもあります。ジャユンは10年間の「普通の生活」という記憶を持ち、それを守ろうとして戦います。一方の少女は記憶もなく、言葉も持たず、ただ「今この瞬間」を生きることしかできません。過去の記憶という鎧を持つ者と、何も持たないゆえに純粋に今を生きる者——この対比は、「人間らしさとは何か」という問いの2つの答えとして機能しています。
組織が象徴するもの
2作を通じて描かれる秘密組織「マーテル」とその関連勢力は、国家権力・資本・軍事の複合体として描かれます。彼らにとって「魔女」たちは人間ではなく、研究データであり、兵器です。
この構造は現代社会における「国家による個人の管理・監視」という問題を暗示しています。優れた能力を持つ個人が、その能力ゆえに国家や組織に目をつけられ、利用されようとする——これは決してフィクションだけの話ではありません。
女性の力と「魔女」のフェミニズム的解釈
両作の主人公がいずれも若い女性であることは、偶然ではないでしょう。「魔女」という言葉の歴史的文脈を踏まえると、この映画は「力を持つ女性がどのように社会から迫害されてきたか」という歴史への応答とも読めます。
ジャユンも名もなき少女も、自分の力を最初から誇示しようとはしません。追い詰められ、守るべきものができたときにはじめて力を解放します。その姿は、「力ある女性が恐れられる」という社会構造への批評として機能していると言えるでしょう。
おわりに
『The Witch/魔女』2部作は、華麗なアクションと緻密な世界観を持つSF映画として純粋に楽しめる一方で、アイデンティティ・記憶・科学倫理・権力と個人の関係といった深いテーマを内包した作品です。
「魔女」とは、理解できないものを排除しようとする社会が生み出したレッテルでもあります。そのレッテルを貼られながらも、自らの意志で生き抜こうとする少女たちの姿は、時代を超えて普遍的な問いを投げかけてきます。
まだご覧になっていない方は、ぜひ第1作から順に観ることをおすすめします。そして観終わった後、「彼女たちの本当の敵は何だったのか」を改めて問い直してみてください。その先にこそ、この2部作が伝えたかったメッセージがあるはずです。




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