こんにちは、映画好きの皆さん。最近、私は日本映画の中でも特に心に残る二つの作品、「市子」(2023年公開)と「あんのこと」(2024年公開)を鑑賞しました。どちらも過酷な環境に置かれた女性の人生を軸に、社会の闇や人間の複雑な感情を掘り下げる衝撃的なヒューマンドラマです。この記事では、それぞれの作品の魅力やテーマ、そして私が感じたことを綴っていきます。どちらの映画も観た後、しばらく頭から離れず、自分自身や社会について深く考えさせられるものでした。では、さっそく始めましょう。
「市子」:戸籍のない人生と逃れられない過去
「市子」は、劇団チーズtheaterの旗揚げ公演「川辺市子のために」を原作とし、戸田彬弘監督が自ら映画化した作品です。主演の杉咲花が演じる川辺市子は、恋人・長谷川義則(若葉竜也)からプロポーズを受けた翌日に突然姿を消します。物語は、長谷川が彼女の行方を追う中で、彼女の壮絶な過去が少しずつ明らかになっていく構成で展開されます。
市子の人生は、まさに「過酷」という言葉がぴったりです。彼女は無戸籍者として生まれ、母親の川辺なつみ(中村ゆり)が元夫との複雑な事情から出生届を出さなかったため、法的に存在しない人間として生きてきました。さらに、難病で寝たきりの妹・月子の戸籍を借りて生活していた時期もあり、彼女のアイデンティティは常に揺れ動いています。ある日、月子の介護に疲れた市子が妹に手をかけてしまい、その罪悪感と逃亡の日々が彼女を追い詰めていきます。さらに、母の恋人・小泉雅雄(渡辺大知)からの性的虐待や、彼を殺してしまった事件も彼女の人生に暗い影を落とします。
この映画の特徴は、時系列をシャッフルしながら描く手法です。最初に市子の失踪が提示され、そこから過去の出来事が断片的に明かされることで、観客はパズルを組み立てるように彼女の人生を理解していきます。特に印象的だったのは、杉咲花の演技。無戸籍という孤独感や、幸せを掴もうとしても過去に引き戻される絶望感を、静かな表情や微かな仕草で表現しています。長谷川との幸せな同棲生活でさえ、彼女にとっては「借り物の時間」に過ぎなかったことが、プロポーズのシーンでの涙から痛いほど伝わってきました。
ラストシーンも強烈です。市子は、高校時代の同級生で彼女に執着する北秀和(森永悠希)と、自殺志願者の女性を利用し、海で彼らを死に追いやります。そして、鼻歌「にじ」を歌いながら海辺を歩く姿が映し出されます。この「にじ」という曲は、映画の中で何度も登場し、市子の心の拠り所でありつつ、手の届かない希望の象徴でもあります。彼女が本当に自ら命を絶ったのか、それとも新たな人生を求めて歩き出したのか、明確な答えは示されません。この余白が、観る者の想像力を刺激し、鑑賞後も彼女のことを考えずにはいられませんでした。
「市子」が投げかけるテーマは、無戸籍という社会問題と、それによって生まれる人間の孤立感です。日本の民法772条(2024年改正で撤廃された)が定める「離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子と推定される」という規定が、市子のような無戸籍者を生み出した背景として描かれています。法の歪みが個人の人生をどれほど壊してしまうのか、そしてその中で「普通に生きる」ことすら許されない市子の苦しみが、観る者の心を締め付けます。
「あんのこと」:虐待と絶望の中で見つけた一筋の光
一方、「あんのこと」は、入江悠監督が新聞記事を基に描いた衝撃作で、2024年6月に公開されました。主演の河合優実が演じる21歳の杏(あん)は、母親からの虐待と売春強要、覚せい剤依存という過酷な環境で育ちます。彼女の人生は、希望を見出すことすら難しいほどの闇に覆われています。しかし、ある日、刑事・多々羅(佐藤二朗)との出会いが、彼女にわずかな救いの可能性をもたらします。
物語は、杏が逮捕された場面から始まり、彼女の過去が回想として描かれます。母親による暴力と搾取、客との過酷な日々、そして薬物に頼らざるを得なかった背景が、容赦なく観客に突きつけられます。特に、河合優実の演技が圧巻で、杏の感情の起伏や絶望的な表情がリアルすぎて、見ているこちらまで息苦しくなるほどでした。彼女が時折見せる無垢な笑顔が、逆にその過酷さを際立たせ、胸が締め付けられる思いでした。
杏にとっての転機は、多々羅との出会いです。彼は、杏を逮捕する一方で、彼女の境遇に同情し、夜間中学への入学を勧めます。教育を受けることで杏は少しずつ自分を取り戻し、香山ひな子(稲垣吾郎)という支援者との交流を通じて、人間らしい温かさに触れていきます。しかし、物語はハッピーエンドで終わりません。母親の再登場と薬物依存の再発が、杏を再び絶望の淵に突き落とし、最終的に彼女は命を落とします。ラストで多々羅が杏の死を知り、静かに涙するシーンは、救いようのない現実を突きつけられ、観ているこちらも涙が止まりませんでした。
「あんのこと」が描くのは、虐待、貧困、薬物といった社会の暗部と、それに翻弄される個人の無力さです。特に、夜間中学という存在が光として提示される一方で、それが全てを救えない現実が切ない。杏の人生は、誰かが手を差し伸べても、環境や過去のトラウマが深すぎて抜け出せないことを示しています。この映画は、観る者に「救いとは何か」「社会にできることは何か」を問いかけ、簡単な答えを与えないまま終わるのです。
二つの映画が響き合うテーマ
「市子」と「あんのこと」は、異なるストーリーでありながら、いくつかの共通点を持っています。まず、どちらも過酷な家庭環境で育った女性が主人公であり、法や社会の仕組みによってさらに追い詰められる姿が描かれています。市子は無戸籍という法的欠陥に苦しみ、杏は虐待や貧困という社会の盲点に翻弄されます。両者ともに、「普通の幸せ」を求める純粋な願いがありながら、それが叶わない現実が切ない。
また、両作品とも主演女優の演技が際立っています。杉咲花と河合優実は、それぞれ市子と杏の内面を深く掘り下げ、観客に強い感情移入を促します。市子の静かな絶望と、杏の激しい苦しみは対照的ですが、どちらも人間の多面性を見事に表現しており、彼女たちの演技力が作品の重みをさらに増しています。
さらに、両映画は結末において明確な救いを提示しない点でも共通しています。市子の未来は曖昧で、杏は死という最悪の結末を迎えます。この「救われない感」が、観る者を現実と向き合わせ、深い余韻を残します。ハッピーエンドを期待する観客にとっては辛いかもしれませんが、これが現実の一面であることを突きつけることで、映画としての力強さを感じました。
私が感じたこと:社会と個人の間で
この二つの映画を観て、私が最も強く感じたのは、社会の仕組みが個人の人生にどれほど影響を与えるかということです。市子の無戸籍問題は、法律の硬直性が引き起こした悲劇であり、杏の境遇は、社会福祉や支援の不足が招いた結果です。私たちが普段「当たり前」と思っている戸籍や教育が、誰かにとっては遠い夢であるという事実に、胸が痛みました。
同時に、両作品は人間の強さと脆さを描いています。市子は過酷な過去を背負いながらも、長谷川との生活で一瞬の幸せを見出し、杏は絶望の中でわずかな希望にすがろうとします。彼女たちの生きようとする意志に感動しつつ、それが報われない現実にやりきれなさを感じました。
個人的には、「市子」のラストの曖昧さが特に印象的でした。彼女が新たな人生を歩み始めたと信じたい一方で、自ら命を絶った可能性も否定できず、そのどちらもあり得ると思うと切なさが募ります。一方、「あんのこと」の明確な悲劇は、目を背けたくなるほど辛かったですが、杏の死が無駄ではなかったと信じたい気持ちも湧いてきました。多々羅やひな子の存在が、彼女の人生に少しでも光を灯したのだと。
まとめ:観る価値のある二つの傑作
「市子」と「あんのこと」は、どちらも観る者の心を揺さぶる力を持つ映画です。過酷な人生を生き抜く女性たちの姿を通じて、社会の歪みや人間の感情の深さを描き出し、簡単には忘れられない余韻を残します。杉咲花と河合優実の演技は圧巻で、彼女たちの表現力が物語に命を吹き込んでいます。
これらの作品は、エンターテインメントとして楽しむというより、考え、感じるための映画です。社会問題に目を向けたい人、深い人間ドラマを味わいたい人にぜひおすすめしたい二作です。観た後、しばらく心が重くなるかもしれませんが、それ以上に何か大切なものを受け取れるはずです。それでは、また次の映画でお会いしましょう!





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