映画ファンの皆さん、特にホラー映画やA24作品が好きな方なら、タイ・ウェスト監督の手がける「X エックス」(2022)とその前日譚「Pearl パール」(2022)は見逃せない作品でしょう。この二作は、単なるスラッシャー映画や恐怖映画の枠を超え、映画史への深い愛と現代的な批評性を融合させた傑作として、多くの観客や批評家から称賛されています。そして、その中心には主演のミア・ゴスが圧倒的な存在感を放ち、このシリーズを「ミア・ゴス劇場」と呼ぶにふさわしい体験に仕上げています。本記事では、この二つの映画の魅力に迫りつつ、ストーリーやキャラクター、演出の妙、そしてそれらが私たちに投げかける問いについてじっくりと語っていきたいと思います。
「X エックス」:70年代ホラーへのラブレターと現代の視点
まず、「X エックス」から話を始めましょう。舞台は1979年のテキサス。ポルノ映画の撮影のために田舎の農場を訪れた若者たち一行が、そこで暮らす老夫婦、ハワードとパールに次々と襲われるというストーリーです。この設定だけ聞くと、1974年の「悪魔のいけにえ」を彷彿とさせる古典的なスラッシャー映画の枠組みに思えます。実際、タイ・ウェスト監督は70年代のホラー映画、特に「悪魔のいけにえ」や「13日の金曜日」へのオマージュを明確に意識しており、血と暴力、そして不条理な恐怖が全編に溢れています。
物語の中心にいるのは、ポルノ女優として成功を夢見るマキシーン(ミア・ゴス)。彼女は恋人のウェインや撮影クルーとともに、自主制作のポルノ映画「The Farmer’s Daughters」を撮るためにこの農場にやってきます。しかし、彼らを迎えたのは、ただの偏屈な老人ではなく、異様な執着と暴力性を秘めたハワードとパールでした。特にパールは、かつての美貌と若さを失った自分と、若々しく自由奔放なマキシーンを重ね合わせ、嫉妬と欲望の入り混じった狂気を露わにしていきます。映画が進むにつれ、クルーは一人、また一人と惨殺され、最後に生き残るのはマキシーンだけ。彼女は血まみれになりながらも、パールを倒し、農場を後にするのです。
この映画の魅力は、単なる殺戮シーンの連続ではない点にあります。タイ・ウェストは、70年代のホラー映画が持っていた「低予算でも観客を恐怖に陥れる力」を再現しつつ、そこに現代的なテーマを織り交ぜています。例えば、マキシーンたちのポルノ映画撮影は、当時のアメリカで性革命と商業主義が交錯した時代背景を反映しており、若さや性を搾取するショービジネスの闇を暗示します。一方、パールの老いた姿と彼女の行動は、若さへの執着や老いへの恐怖といった普遍的な感情を掘り下げており、単なる「怖いおばあさん」以上の深みを与えています。
そして、ミア・ゴスの演技。彼女はマキシーンとパールの二役を見事に演じ分け、特に特殊メイクで老婆となったパールでの怪演は圧巻です。エンドロールで明らかになるこの一人二役の事実を知った時、観客は「あの老婆がミア・ゴスだったのか!」と驚愕しつつ、彼女の演技力に脱帽せざるを得ません。この映画を見終わった後、私は「パールの過去ってどんなだったんだろう?」という疑問を抱かずにはいられませんでした。そして、その答えが「Pearl パール」なのです。
「Pearl パール」:無垢な少女からシリアルキラーへの変貌
「Pearl パール」は、「X エックス」の前日譚として、1918年のテキサスを舞台に、若き日のパール(再びミア・ゴス)の物語を描きます。この映画は、タイ・ウェストとミア・ゴスが「X エックス」の撮影準備中に共同で脚本を書き上げ、極秘裏に撮影されたという異例の経緯を持つ作品です。時代設定は第一次世界大戦末期、スペイン風邪が流行する中、パールは厳格な母親と病気の父親とともに、人里離れた農場で暮らしています。夫のハワードは戦争に出征中で、彼女は父親の介護と家畜の世話に追われる日々を送っています。しかし、パールの心の中には、映画スターとして華やかな世界に飛び出すという大きな夢が息づいているのです。
映画の冒頭、パールは無垢で夢見がちな少女として描かれます。農場の家畜たちを相手にミュージカルの真似事をしたり、映画館で観たフィルムを手に踊ったりする姿は、どこか愛らしい。しかし、その裏には抑圧された生活への苛立ちと、母親からの支配に対する反発が渦巻いています。ある日、町で開催されるダンスオーディションに参加するチャンスを得たパールは、夢への第一歩を踏み出そうとしますが、結果は惨敗。「ブロンドのアメリカ人女性」を求めていた審査員に、ドイツ系の彼女は受け入れられません。この挫折をきっかけに、パールの内なる狂気が徐々に表面化していきます。
母親との対立が頂点に達した時、パールは衝動的に母を殺害。その後も、夢を嘲笑う義姉妹や、彼女を誘惑した映写技師を次々と手にかけ、血に染まった手を笑顔で隠す姿は、まさに「無垢なシリアルキラー」の誕生を象徴しています。特に、後半の長回しの独白シーンは圧倒的。ミア・ゴスがカメラに向かって語るパールの告白は、孤独、愛への渇望、そして狂気への転落を余すところなく表現しており、観る者の心を掴んで離しません。そして、エンドロールでの彼女の不気味な笑顔。あの数分間続く固定ショットは、恐怖と美しさが混在した忘れがたい映像として脳裏に焼き付きます。
「Pearl パール」は、ホラーというジャンルを超えて、50年代のテクニカラー映画や「オズの魔法使」のようなファンタジー的演出を取り入れています。鮮やかな色彩とロマンチックな音楽が、パールの夢と現実のギャップを際立たせ、彼女の壊れゆく精神を視覚的に描き出しているのです。この映画を見た後、「X エックス」のパールがなぜあそこまで若さに執着し、マキシーンに敵意を抱いたのかが痛いほど理解できました。
ミア・ゴスとタイ・ウェストの化学反応
この二作の成功の鍵は、何と言ってもミア・ゴスとタイ・ウェストのコラボレーションにあります。ミア・ゴスは、「ニンフォマニアック」(2013)でデビュー以来、その独特の個性と大胆な演技で注目されてきましたが、「X エックス」と「Pearl パール」でついに主演としての地位を確立しました。彼女の演じるマキシーンとパールは、正反対のキャラクターでありながら、「特別でありたい」という共通の欲望で繋がっています。マキシーンはそれを野心に変えて生き延び、パールはそれを狂気に変えて破滅する。この対比が、ミア・ゴスの演技の幅を見事に示しています。
一方、タイ・ウェストはホラー映画の伝統を愛しつつ、それを現代的な視点で再解釈する才能に長けています。「X エックス」ではスラッシャー映画のルールを踏襲しつつ、「Pearl パール」ではジャンルを拡張してサイコスリラーとメロドラマを融合。両作品に共通するのは、映画そのものへの深い愛情です。彼はインタビューで、「ホラーとポルノは似ている。低予算でも観客を惹きつけられる」と語っており、その哲学がこのシリーズの根底に流れています。
テーマと現代へのメッセージ
「X エックス」と「Pearl パール」は、単なる娯楽映画ではありません。両作品を通じて、若さ、老い、欲望、抑圧といったテーマが掘り下げられています。「X エックス」では、若さと性を売り物にするマキシーンたちと、それを失ったパールの対比が、現代社会の美や成功への執着を映し出します。一方、「Pearl パール」は、夢を追い求める純粋さが、環境や時代によって歪められる過程を描き、個人と社会の軋轢を浮き彫りにします。第一次世界大戦やスペイン風邪という背景は、コロナ禍で撮影された当時の状況とも重なり、現代の私たちに共感を呼び起こします。
特に印象的なのは、パールが「私は何もしていない」と呟くシーン。「X エックス」で彼女がマキシーンに「お前もいずれこうなる」と告げる言葉と繋がり、若さと老いの連続性を示唆しています。私たちはみな、時間とともに変わり、失うものに執着する瞬間がある。その普遍性が、このシリーズをホラー以上のものにしているのです。
個人的な感想と三部作への期待
正直に言うと、「X エックス」を最初に見た時、私は「面白いけど、ちょっとグロいな」と感じました。でも、「Pearl パール」を見た後にもう一度「X エックス」を観直すと、パールの行動に哀しみと理解が生まれ、物語が全く違う深さで響きました。ミア・ゴスのあの笑顔と独白は、何日経っても頭から離れません。そして、この二作が三部作の一部だと知った時、完結編「MaXXXine マキシーン」への期待が一気に高まりました。
「MaXXXine」は、「X エックス」の6年後、1985年のロサンゼルスを舞台に、マキシーンがスターへの道を進む姿を描くそうです。予告編では、ハリウッドの華やかさと裏の闇が垣間見え、ケヴィン・ベーコンやエリザベス・デビッキといった豪華キャストも話題です。マキシーンは夢を叶えられるのか、それともパールと同じ道を辿るのか。70年近くにわたるこの壮大な物語がどんな結末を迎えるのか、今から楽しみでなりません。
まとめ
「X エックス」と「Pearl パール」は、ホラー映画の枠を超えた映画愛の結晶です。タイ・ウェストのジャンルへの敬意と革新性、ミア・ゴスの圧倒的な演技力が融合し、観客に恐怖と共感、そして思索を同時に与えてくれます。もしあなたがまだ見ていないなら、ぜひ「X エックス」から始めて「Pearl パール」へ。そして、2025年3月6日に日本公開予定の「MaXXXine」でこの旅を締めくくりましょう。映画史を巡るこの狂気と美の旅路は、きっと忘れられない体験になるはずです。
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