序章:森の中への第一歩
映画「唄う六人の女」は、観客を日常から遠ざけ、深い森の中へと引き込む作品です。監督の石橋義正は、これまで「オー!マイキー」や「ミロクローゼ」で独特な世界観を築いてきましたが、本作でもその個性が存分に発揮されています。主演の竹野内豊と山田孝之が演じる二人の男が、事故をきっかけに奇妙な「六人の女」に捕らわれるという展開は、一見ホラーやスリラーのようですが、そこから広がる物語は予測を超え、深い思索へと誘います。
物語は、フォトグラファーの萱島森一郎(竹野内豊)が、40年以上会っていなかった父親の死を知り、遺産である山を売却するために故郷へ戻るところから始まります。一方、東京の開発業者の下請けである宇和島(山田孝之)は、その土地を買い取るために同行します。契約を終え、山道を車で走っているときに事故に遭った二人は、目を覚ますと縄で縛られ、森に暮らす六人の美しい女たちに囲まれています。彼女たちは言葉を発せず、不思議な行動で二人を翻弄します。ここから映画は、現実と非現実の境界を曖昧にしながら、自然と人間の関係に迫っていきます。
映像美が心を奪う
まず注目したいのは、本作の圧倒的な映像美です。森の緑がスクリーンいっぱいに広がり、その色彩と光の美しさは観客の目を奪います。特に、六人の女たちが登場するシーンでは、自然と彼女たちの存在が溶け合い、幻想的な雰囲気が漂います。撮影監督の技術が光り、木々のざわめきや水の流れ、虫の動きまでが生き生きと映し出され、まるで森そのものが物語の一部のように感じられます。この映像美は、映画のテーマである「自然の声」を視覚的に伝える大切な要素です。
音響デザインも素晴らしいです。女たちが言葉を発さない分、環境音や音楽が物語の感情を支えます。NAQT VANEさんの主題曲「NIGHTINGALE」は、ミステリアスで哀愁を帯びた旋律が特徴で、映画の雰囲気をより深くしてくれます。静寂の中で響く虫の声や風の音は、観客に「自然が語りかける何か」を感じさせ、印象に残ります。
六人の女は自然の象徴
映画のタイトルにある「六人の女」は、それぞれ「刺す女」(水川あさみ)、「濡れる女」(アオイヤマダ)、「撒き散らす女」(服部樹咲)、「牙を剥く女」(萩原みのり)、「見つめる女」(桃果)、「包み込む女」(武田玲奈)と呼ばれ、個別の特徴を持っています。彼女たちは言葉を発しませんが、行動や表情で強い存在感を示します。特に水川あさみの「刺す女」は鋭い視線と冷たい仕草で緊張感を与え、桃果の「見つめる女」は静かな眼差しで深い感情を引き出します。
物語が進むと、彼女たちが単なる人間ではなく、森や自然の化身であることが示唆されます。例えば、「牙を剥く女」が蛇のように動いたり、「濡れる女」が水辺で神秘的な舞を見せたりするシーンは、自然を擬人化したものと捉えられます。この設定は、自然が人間に対して抱く保護や復讐、共生といった感情を象徴しているようです。ただ、彼女たちがカラコンを着け、現代的なメイクや衣装で登場するのは、自然との調和というテーマと少し矛盾するようにも感じます。監督の意図が現代社会との対比にあるのかもしれませんが、この点は観客によって意見が分かれそうです。
二人の男の対照的な姿
竹野内豊が演じる萱島と山田孝之が演じる宇和島は、性格も目的も異なるキャラクターです。萱島は、父親の死を通じて過去と向き合い、森の秘密に気づき始める優しさと知性を持っています。一方、宇和島は開発業者として自然を搾取する立場に立ち、自己中心的で粗野な態度が目立ちます。山田孝之の演技は特に素晴らしく、彼の「クズっぷり」が観客に苛立ちとユーモアを与えます。物語が進むにつれ、二人の運命は分かれ、萱島が自然との共生を選ぶのに対し、宇和島は欲望に突き進みます。
この二人の対照性は、映画が問いかける「人間はどう生きるべきか」を体現しています。萱島の選択は自然への敬意と調和を、宇和島の末路は搾取と破壊の結果を示します。しかし、終盤で萱島が命を落とし、その意志が別の形で引き継がれる展開は、少し急に感じられます。彼の奮闘が報われる結末を期待していただけに、やや物足りなさも残ります。
自然へのメッセージが響く
映画の中心には、自然と人間の関係性に対する深いメッセージがあります。六人の女たちが自然の化身として描かれることで、現代社会の環境破壊や自然との断絶が暗に批判されています。宇和島のような搾取的な姿勢が悲劇を招き、萱島のような姿勢が希望を生む構図は、エコロジーの視点からも明確です。父親が残したフクロウの写真や調査の痕跡が、自然保護の意志を暗示する点も興味深いです。
ただ、このメッセージがストーリーに完全に溶け込んでいるかといえば、少し疑問が残ります。中盤から後半にかけて自然保護のテーマが強くなり、前半の幻想的な雰囲気が薄れる一方で、説明的な展開が増えます。そのため、映画全体のトーンが一貫しない瞬間があります。前半は観客に感じさせ、考えさせるアプローチが強く、後半はテーマを明示する方向にシフトするので、そのギャップが評価を分けるかもしれません。
賛否両論のポイント
「唄う六人の女」は独特なスタイルゆえに、賛否が分かれる作品です。良い点としては、映像美や六人の女たちの神秘的な魅力、竹野内豊と山田孝之の対照的な演技が挙げられます。自然と人間の関係を視覚と雰囲気で表現する試みは珍しく、新鮮な体験を与えてくれます。一方で、 theme とストーリーの統合が不十分な点や、女たちの設定が現実と非現実の間で中途半端に感じられる点が課題です。タイトルに「唄う」とあるのに彼女たちが歌わないことも、混乱を招くかもしれません。
個人的には、前半の幻想的な展開に強く惹かれますが、後半の説明的なアプローチには少し物足りなさを感じます。自然の声を「唄」として表現する意図は分かりますが、それが視覚的・聴覚的に十分に伝わらなかった印象です。また、六人が揃うシーンが少ないのも、タイトルとのギャップを感じさせます。
俳優陣の魅力が光る
キャストの演技は本作の見どころです。竹野内豊は穏やかさと脆さを併せ持つ萱島を自然に演じ、彼の滑舌の癖すら魅力的に見えます。山田孝之の宇和島は憎々しげな態度と計算高い表情で観客を引きつけ、彼の独特な魅力が物語に深みを加えます。六人の女たちでは、水川あさみの冷酷な美しさと萩原みのりの野性的なエネルギーが特に印象的です。竹中直人や白川和子、津田寛治といったベテラン勢の存在感も、作品に厚みを与えています。
結論:不完全でも心に残る
「唄う六人の女」は完璧な作品ではないかもしれません。テーマとストーリーのバランス、設定の曖昧さ、後半の急ぎ足な展開など、改善の余地はあります。でも、その不完全さも含めて、観客に強い印象を残す「怪作」です。石橋義正さんの独創的なビジョンとキャストの熱演が織りなす世界は、一度見たら忘れられません。自然と人間の関係を見つめ直すきっかけを与えてくれる本作は、商業映画の枠を超えた挑戦として評価したいです。
最後に、この映画を観るなら、予備知識を少なくして、映像と雰囲気に身を委ねてみるのがおすすめです。謎めいた森の中で、あなたは何を感じ、何を考えますか。それこそが、「唄う六人の女」が投げかける最大の問いかもしれません。
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